GAKUPOTA 東広島学生ポータル ガクポタ

東広島の学生たちの「学び」「遊び」「働く」を
サポートする学生ポータルサイト
        

東広島デジタル

c2020 Higashi-hiroshima Gakupota
ホーム > 【東広島の企業紹介】創業90年。地域に選ばれる会社に「芸陽バス」

【東広島の企業紹介】創業90年。地域に選ばれる会社に「芸陽バス」

2021年6月3日

【東広島の企業紹介】創業90年。地域に選ばれる会社に「芸陽バス」

東広島で就職ってどこですればいいの?そもそも東広島に就職できるところってあるの?
そんな学生の皆さんへ東広島の企業を紹介!

今回紹介する東広島の企業は
創業90年。地域に選ばれる会社に
「芸陽バス株式会社」

芸陽バスとは

今年1月に創業90周年を迎えた乗合・貸切バス事業者。
2019年は約120台の車両で年間240万人を輸送した。昭和、平成、令和と3つの時代にまたがり市民の主要な交通手段として、地域に密着した展開を続けてきた。

芸陽バスは、昭和恐慌の真っただ中だった1931年、芸陽自動車として誕生した。
戦後、高度経済成長を背景にした車両の進化や道路整備を追い風に、50年代後半から60年代前半まで、路線バス利用者はピークを迎えた、という。

路線エリアは東広島市を中心に広島市から三次市、三原市までカバー。田島悦雄取締役総務部長は「走れば利益が出た時代。バス事業の黄金期で、利用者が多くて、ドアが閉まらなかったこともあったと聞いている」と話す。

その後、モータリゼーションの進展などに伴い、利用者も徐々に減少。

コスト削減のため、1971年には、1台のバスを運転士と車掌の2人で運行していた仕事を1人で行うため、ワンマンカーを導入、生産性の向上に尽力した。

広島大学の統合移転 転機に

転機が訪れたのは、 広島大学の統合移転 だ。1982年から始まり、1995年に完了した統合移転は、東広島市の発展を加速化。市に人口増を呼び込み、バス利用者の増加をもたらした。


ブールバール経由の広島大学行き。広島大の統合移転はバス利用者の増加をもたらした

田島取締役は「統合移転がもたらした街のにぎわい・経済効果は、芸陽バスにとっても大きなチャンスになった」と振り返る。
90年代からは、山陽自動車道の開通に合わせ、高速道を経由する都市間高速バスの運行を次々と開始、新たな利用者の開拓に努めた。

人気路線の「かぐや姫号」

特に91年に運行を始めた竹原市と広島市中心部を結ぶ「かぐや姫号」は、現在、12往復を維持。

他の都市間高速バスがJR山陽本線との競合で廃止に追い込まれる中、社の主力路線の一つになっている。

大崎上島や大久野島など島しょ部から広島市内に直通する利便性が、地域住民や観光客から支持を得ている要因、という。

2012年には、広島電鉄の子会社となり、広電グループの一翼を担う会社になった。社会の多様化に対応するため、旅行業や保険代理業、不動産業など新たな事業に挑み、経営の安定化を図ってきた。

それでも、「公共交通を取り巻く環境は激変している。先を見通しにくいのが実情」と田島取締役は本音を漏らす。
こうした中、昨年11月には、乗合バス事業が独占禁止法の対象外になった。つまり、乗合バス事業者間で共同経営や路線再編が可能になったのだ。
田島取締役は「地域の公共交通を守る意味でも、大きな転機になる」と目を細める。

ICT(情報通信技術)にも迅速に対応する。スマホなどを使い、利用者がバスの到着時間や待ち時間、運行状況を把握できる「バスロケーションシステム」「バスイット」を多くの路線で導入。東広島市や広島大学などと連携し、自動運転車両の実証実験にも取り組んでいる。

「地域に必要とされ、選ばれる会社であり続けたい―」

創業時からの思いは変わらない。
田島取締役は「公共交通事業にコツコツと取り組み、やり遂げてきたという信頼と実績が芸陽バスの最大の財産。これからも市民が利用しやすい路線バスを運行し続けたい」と力を込める。

 

写真で見る芸陽バス今昔

紙屋町行きのバス(1950年ごろ撮影)。車輪のそばに社旗が掲げられている

八本松駅に停車中のバス(1952年ごろ撮影)。乗客は盆灯篭を抱えている。当時はボンネット型バスが主流だった

バスに乗車してのバスガイド研修(1965年ごろ撮影)。60年代、貸切観光バスのバスガイドは会社のイメージアップに大きく貢献した

本社のあった西条バスセンター(1982年撮影)。場所は現在の広島銀行西条支店。
1964年に完成し、当時、専用バスターミナルとしては中国地方有数の規模を誇ったが、ブールバール建設に伴い1985年、閉鎖された。

半世紀前の芸陽バスの車体デザイン。昨年、90周年事業の一環で復刻バスを走らせた

JR河内駅前を走る現在の路線バス。朝夕には多くの高校生たちが利用する。
昔も今もバスは市民の主要な交通手段だ

 

沿革
1931年 芸陽自動車が発足。本社は豊田郡久芳村(現東広島市福富町)。同じ年に本社を豊栄町清武(現東広島市豊栄町)に移転
1959年 社名を現在の芸陽バスに改称
1964年 西条町昭和町(元西条農高跡地)に用地を購入し、西条バスセンターが完成。翌年、センター内に本社を移転
1985年 現在の西条西本町に本社を移転。西条バスセンターはブールバール建設に伴い閉鎖
1991年 初めてとなる都市間高速バス「かぐや姫号」の運行を開始
1993年 5社と共同で広島空港リムジンバスの運行開始
2012年 広島電鉄が筆頭株主となり、広電グループの一翼を担う会社に

\東広島の凄い企業をまとめて紹介!/

 

 

> 続きを読む

2021年3月15日

【東広島の企業紹介】一貫生産で総合的な技術力を確立「マイクロテクノ」

東広島で就職ってどこですればいいの?そもそも東広島に就職できるところってあるの?
そんな学生の皆さんへ東広島の企業を紹介!

今回紹介する東広島の企業は
一貫生産で総合的な技術力を確立
「マイクロテクノ」

マイクロテクノとは

マイクロテクノ_外観

2021年6月で創業50年の節目を迎える自動車部品メーカー。創業以来、精密加工分野で技術を磨いてきた。

その培ってきた技術で、大手メーカーとの一次サプライヤーとして、確固たる地位を得ている。 

 

ロータリーエンジン実用化に大きく貢献

マツダの代名詞ともいわれるロータリーエンジン。マイクロテクノは、ロータリーエンジンの中核部品となる「アペックスシール」製造の専門工場として、1971年に設立した。

アペックスシールは、ロータリーエンジンのガスシールの一つ。三角形のローターの各頂点に設置されている。
ロータリーエンジン作動室の気密を保持し、圧縮、燃焼の機能を発揮させる重要な部品。
このアペックスシールがなければ、ロータリーエンジンの実用化はありえなかったといわれている部品だ。

樫平隆男取締役は「アペックスシールの製造で培った精密加工の技術は、会社が発展する礎になった」と振り返る。


一貫生産を武器に確固たる技術を確立

1981年には、主力製品となる、AT(オートマチック)車の変速機内の油圧や油量を制御するソレノイドバルブ「スプール・スリーブ」の生産を開始。精度の高い技術は、顧客の信頼を得ることにつながり、マツダの子会社(当時)ながら、マツダ以外にも、取引を拡大していった。

転機になったのは、2005年。スプール・スリーブの製作を、切削加工、研削、表面処理まで自社内で一貫生産できる体制を整えたことだ。

マイクロテクノ_内観
仕上げ工程のライン

樫平取締役は「問題が生じたとしても、どの工程でどう対処すればいいのかが分かるようになった。一貫生産で総合的に技術力を持つことができ、大きな強みになった」と胸を張る。

一貫生産は、コストの削減と品質の向上につながったことはもちろん、大手メーカーの高い要望にも応えられる動機付けにもなった、という。
例えば、微細加工の技術は、ミクロン単位まで対応が可能になった(ちなみに1ミクロンは1000分の1mm)。

 

マイクロテクノが手掛ける主な製品

スプール・スリーブ

マイクロテクノ_スプールスリープ
写真手前がスプール・スリーブでAT車の制御機能を保証する中枢となる部品(奥はフェーエルレール)

フューエルレール部品

マイクロテクノ_フェーエルレール
ガソリンなどの燃料をインジェクター(燃料噴射装置)へ安定して供給する部品。マツダ車のスカイアクティブエンジン用に製造


アジアへの進出  今後の目標

14年には、ベトナムに子会社を設立。海外で唯一の工場となるベトナム工場を建設し、グローバル化への第一歩を踏み出した
19年には、工場を2.5倍に拡張し、スプール・スリーブの量産を始めた。マツダがタイに構える工場への納品の他、ベトナムの大手メーカーとの取引が始まったからだ。
樫平取締役は「ベトナムを拠点に、アジア圏を含めた、さまざまな国に市場を拡大していきたい」と話す。

20年3月期の売上高は約53億円。そのうちマツダ向けが6割を占める。現在はマツダが50%を出資するトーヨーエイテック(広島市)の子会社だ。「さらに新規の受注拡大に努め、マツダグループ以外の取引を開拓していきたい」と樫平取締役。

自動車業界は電動化への対応も迫られる中、樫平取締役は「マイクロテクノならではの一貫生産の強みを、電気自動車にも生かしたい」と力を込める。

 

採用について樫平隆男取締役に聞いてみた

自動車部品を製造するマイクロテクノ。2021年2月28日現在、180人(男性109人、女性71人)の従業員が働いている。

樫平隆男取締役に、採用計画や社風などについて聞いた。

マイクロテクノ_社長

 

―採用計画については

今年は大卒2人、高卒2人の計4人の新卒者を迎えます。毎年、大卒、高卒とも若干名ずつの採用を計画しています。求めているのは、意欲の高い人。

私たちの業界は業務が幅広く、深掘りができないと、交渉もスムーズに運びません。また、現場では作業効率が求められます。このため、常に向上心を持って自ら考え勉強できる人を、採用条件の大きなポイントに挙げています。
中途採用も不定期に行っています。求めているのは即戦力となる人材です。

 

―女性社員の割合が高いですね

社員の約4割が女性で、製造業では高い方でしょう。理由は、きめ細かな仕事が多く、女性も男性と同じように仕事ができるからです。

一例が最終製品を出荷する前に行う全数検査。機械でもチェックしますが、機械が判別できないようなキズは、人の五感を頼りにした丁寧な作業になります。


―社風は

部署間や年齢間の垣根がなく、風通しが良いことですね。事務系の職場はワンフロアで仕切りはなく、社長室や役員室もありません。

一般の社員が役員と同じ部屋で普通に仕事をします。双方がダイレクトに声を掛けられることで、トップダウンやボトムアップをスムーズに進めることができます。

年齢間にも垣根はありません。社員の平均年齢は36歳です。若い職場なので、ぎすぎすした雰囲気はありません。

マイクロテクノ_社員

特に現場では、若いリーダーが多く、入社数年以内の社員が相談しやすい環境が整っています。

 

―経営理念は

《人間尊重を基本とし、全員参加で創意工夫により、高品質で広く社会に貢献する》を掲げています。平たく言えば、二つの意味があります。

一つは、目まぐるしく変わる時代の中で、お客さまの要望により早く応えるために、日々技術開発を行っていくということ。

もう一つは、従業員が働きやすい環境づくりに向け、さまざまな施策に全社一丸で取り組んでいくこと。従業員が笑顔で誇れる会社にならなければ、会社は続かないという信念があるからです。

 

沿革
1971年 アペックスシールの専門工場として高屋製作所設立
1981年 スプール・スリーブの生産開始
1984年 マツダミクロンに社名変更
1994年 マツダミクロンとマツダ精密が合併、マイクロテクノになる
2004年 田万里工場で生産開始
2005年 スプール・スプールの一貫生産体制の構築完了
2012年 高屋台工場でフューエルレールラインの稼働開始
2014年 ベトナムに子会社設立

\動画で分かるマイクロテクノ!🎥/

 

※プレスネット2021年3月18日号より掲載

\東広島の凄い企業をまとめて紹介!/

 

> 続きを読む

2020年10月15日

【東広島の企業紹介】人との触れ合いが魅力「東広島タクシー」

東広島で就職ってどこですればいいの?そもそも東広島に就職できるところってあるの?
そんな学生の皆さんへ東広島の企業を紹介!

今回紹介する東広島の企業は
創業以来、365日24時間、休むことなくタクシーを動かし続けてきた
「東広島タクシー」

東広島タクシーとは

1950年に初代山田義信氏が賀茂タクシーを創業。1976年に芸陽タクシーを合併し東広島タクシーとして運行を始めた。
創業以来、365日24時間、休むことなくタクシーを動かし続けてきた。タクシーを利用する乗客と乗務員の縁が、切れ目なく走り続けてきた原動力になった、という。

今年が創業70年目。タクシー保有台数は東広島市内のタクシー会社で最大だ。
「全ての人に笑顔と感動を届ける」ことをモットーに、ICT(情報通信技術)に対応したサービスで、乗客から「選んでよかった」と言われるタクシー会社を目指す。

 

乗務員の接客に力

大切にしてきたのは人材(乗務員)の育成だ。「お客さまを目的地まで運ぶだけなら、他のタクシー会社と変わらない」(山田章夫取締役)と、乗務員には、安全な運転だけではなく、利用者が快適と思うような輸送に心を砕くよう求めた。
接客業としての心構えを説き、心地よい接客が自然にできる乗務員の教育を目指してきた。

東広島タクシー1
乗務員の研修風景

今年9月には、70年を機に旅客運送の原点に立ち返ろうと社内乗務員を対象に、接客サービスを審査する「ベストドライバーコンテスト」を行い、上位3人を表彰した。広報担当の山田取締役は、「コンテストが乗務員の研さんを高める契機になれば」と目を細める。

 

社内ベストドライバーコンテストで第1位👑

2020年社内ベストドライバーコンテストで第1位を獲得した

石垣 修子 さん(23)

ベストドライバー石垣修子さん

入社の動機は、ずっと接客業をしてきたことと、車の運転が好きだったこと。今年5月からタクシードライバーとしてハンドルを握っています。

心掛けているのは、どんなときでも笑顔を忘れないこと。お客さまから「ありがとう。あなたで良かった」と声を掛けられることが、仕事の励みになっています。私が女性で安心なのか、特に女性や年配の人から感謝されることが多いですね。

仕事では深夜勤務もあります。会社の皆さんがしっかり支えてくださっているので安心して働くことができます。これからも、お客さまに喜んでもらえるように、精一杯頑張ります。お客さまの笑顔に接することが、私の仕事の原動力になっています。

 

ICTにも対応

新たな客層の掘り起こしにも取り組んできた。全国子育てタクシー協会に加盟し、2012年から妊婦や子育て中の親子たちを専門に送迎する子育てタクシーを始めた。

貸切バスでは20~60人まで乗車可能な小型・中型・大型バス25を取りそろえ団体客にも対応する。16年には、ハイグレードなアルファードやクラウンハイブリッドを導入。VIPタクシーとして政府関係者や会社重役、著名人たちから配車の要請を受けるという。

東広島タクシー2
タクシー保有台数は東広島最大。貸切バスも取りそろえ団体客にも対応する。

タクシーは64台を保有。タクシー専門のJAPANTAXI(ジャパンタクシー)やプリウス、クラウンなどを取りそろえている。35台は環境に優しいハイブリッド車だ。
全車両が、クレジットカード・電子マネー・QRコードなど25種類のキャッシュレス決済に対応できる。スマートフォンアプリを利用した配車の依頼も可能だ。

東広島タクシー4
多種の電子マネーに対応する決済システム

山田伸二社長は「タクシー業界も時代を見据えた対応が求められている。変化を敏感に感じ取りながらお客さまのサービス向上に努めたい」と強調する。


コロナ禍での新たな取り組み

新型コロナウイルスへの対応では、全乗務員の検温とマスクの着用を義務化。社内の喚起や消毒も徹底した。

一方、乗務員が感染した場合に備え、全社員分の抗体きっとも準備している。コロナ禍の減収を補うため、国が救援事業として認めた、買い物の代行サービスを始めた。

「人が動かないときは物(商品)を動かすしかない。会社にも、お客さまにも互いにプラスになる」と山田社長。新規の顧客開拓の足掛かりにしたい考えだ。

 

これからの東広島タクシー

 タクシー業界は、許認可産業だ。法律の規制による障壁をにらみながら、新しいサービスを打ち出さなければならない。
そんな市場環境の中、山田社長は「法律のもとで、できることをやる以外にはない。タクシーの強みは、乗務員とお客さまが直接会話をできること。言い換えれば、人と人、人と地域をつなぐのがタクシーの役割。全ての方に笑顔と感動を提供し、地域に必要とされるタクシー会社であり続けたい」と力を込める。

 

採用について社長に聞いてみた

基本は隔日勤務。
人との触れ合いが魅力

タクシー会社は、乗務員抜きには存在しない。乗務員は会社の顔であり、会社の屋台骨を支える。
山田伸二社長に、乗務員の働き方や乗務員の仕事の面白さなどについて聞いた。

東広島タクシー山田伸二社長1

ー乗務員はきついというイメージがあります。

基本的には、1回の出勤で2日分働きます。例えば、朝8時から深夜2時まで勤務をすると、翌日は非番で休みというイメージです。
1日の勤務時間は長いのですが、1日仕事をして次の日が休み(非番)という形態なので、暦日数にすると月13日のみの出勤となり、年間の自分の休みが明確になっています。
計画が立てやすく自分の時間を作ることができると若い世代からも人気です。

ここ半年間で20~30代前半の乗務員も5人以上入社し、若返りが進んでいます。ベストドライバーコンテストで優勝した23歳の女性乗務員は隔日勤務で頑張っています。希望すれば日勤もでき、高齢者ドライバーにはおすすめです。


ー仕事の面白さややりがいは。

老若男女、職業を問わず、さまざまな人と接することができることです。一日にすると、一人平均で25組のお客さまをお乗せします。

これまで気がつかなかった人の一面を垣間見ることができますし、お客さまとのやり取りから世の中の流れや空気を感じることができます。乗務員だけに与えられた特権でしょうね。

やりがいは給与が歩合制ですから、頑張れば頑張った分だけ報われることですね。

 

ー乗務員を随時募集されていますね。

現在、タクシー事業部で76人、バス事業部で25人の常務音が在籍しています。需給バランスもありますが、現在多くのタクシーのご依頼を頂いており、まだまだ不足しています。

AI(人工知能)による自動運転が取り沙汰されていますが、業界に普及するのはかなり先のことになります。安心して応募してください。

東広島タクシーの乗務員であることに誇りを持てる人を待っています。

※プレスネット2020年10月15日号より掲載

\東広島の凄い企業をまとめて紹介!/

 

> 続きを読む

2020年5月21日

【東広島の企業】葬儀依頼件数は東広島ナンバーワン「アイフィットさいき葬祭」

東広島で就職ってどこですればいいの?そもそも東広島に就職できるところってあるの?
そんな学生の皆さんへ東広島の企業を紹介!

今回紹介する東広島の企業は
故人らしさ尊重される葬儀演出で葬儀依頼件数は東広島ナンバーワン
「アイフィットさいき葬祭」

アイフィットさいき葬祭とは?

今年で創業70年。総合葬祭業として昨年度は過去、最高の収益を計上した。《一人でも多くのお年寄りが安心して明るく暮らせる社会をつくる》を経営理念に、東広島に根を下ろして事業を展開している。

さいき葬儀
上田博之故東広島市長の市民葬を2006年に執り行う

 

地域に恩返し、社会福祉活動にも力

創業者は佐伯行守(故人)。戦後の混乱期に提灯製造から身を起こし、造花の花輪が主な収入源だった葬祭業界のノウハウを学び、1950年、西条本町に佐伯葬祭を設立した。旧東広島市を中心に販路を広げ地歩を固めていった。

2001年には法人化に合わせて東広島初の民間葬儀場「やすらぎ会館」を、JR西条駅の北側に建設した。

さいきやすらぎ会館
やすらぎ会館

ホールを持たないと葬祭業の運営ができなくなったことと、自宅葬が減ってきたことがきっかけになった。会館建設に合わせて、葬儀の金銭的な割引が受けられる会員制度を導入した。

10年には2カ所目の葬儀場の「フォレストホール」を西条の中心市街地に建設。小規模の家族葬から大規模な一般葬、社葬までできる体制を整えた。大きな転機になった。

さいきフォレストホール
フォレストホール

かつて、葬儀には地域の慣習に則った前例文化が根付いていたが、近年は葬儀の自由度が高くなってきた。こうしたことを背景に、地域と遺族の調整役を担い、故人らしさが尊重される葬儀を、と17年、スタッフと一緒に生前遺影の撮影や生前ビデオレターの作成などができる「体験型葬儀事前相談サロン・Aifit(アイフィット)」を本部事務所内に開設した。

14年に3代目社長に就任した柚木力さんは「人は故人の生きざまを偲んで葬儀に参列する。少しでも故人の生きてきた人生が垣間見られるような葬儀をお手伝いしたい」と力を込める。

もう一つ、大切にしている思いが文化だ。一見、葬儀と文化は関係がないように思えるが、「葬儀は葬送儀礼の略で、礼を持って送り続けることを意味している。つまり葬儀は連綿と続く文化に他ならない。文化を大切にすることが本業に生かされる」と柚木社長。昨年、一竜座を誘致し大衆演劇公演を仕掛けたのも、そんな思いからだった。

さいき文化活動
2019年、一竜座を誘致し大衆演劇公演を仕掛けた。

「東広島に育ててもらった企業として感謝の心を忘れないでいたい」と市の社会福祉活動にも力を入れる。
酒まつりに毎年参加、酒蔵通りにある本社駐車場を高齢者や障がい者たちに開放している。昨年は、難病の「ペルテス病」患者を支援するチャリティーライブも企画した。17年からは市内の住民自治協議会と連携し、終活セミナーを行っている。

新型コロナウイルス感染対策では、動画配信サイト「ユーチューブ」のライブ動画で、葬儀の様子を配信するサービスを始めた。会場内に多くの参列者が密集するのを避けることが目的だ。参列できない人には、個別のURLを活用し、プライバシーを守れるよう配慮している。柚木社長は「集団感染を起こさないことと、故人を偲ぶ機会を奪わないことに最大限の配慮をしたい」と話す。

コロナ禍を乗り越えた先の計画もしっかりと見据える。年間の葬儀依頼件数は500件を超え、東広島では昨年まで5年連続でナンバーワンの実績を誇る。会員登録者数は現在3万6000件で5万件にすることが大きな目標だ。

「家族葬にも一般葬にも瞬時に対応できる3カ所目の葬儀場を、僕の責任で建設したい」と柚木社長。会社が立ち止まることはない。

柚木力社長と一問一答

さいき社長2

■座右の銘

「天の時 地の利 人の和」。中国の儒学者・孟子の言葉です。天の時とはチャンス、地の利とはポジショニング、人の和とはチームのこと。3つが揃うことで、ビジネスは上手くいく、と常に心に留めています。

■社員への訓示

30人のスタッフに言っているのは「誇りと自信を持って仕事に取り組もう」と。プライドがないと良い仕事はできませんから。その思いを持っていれば、特に理想の社員像はありません。今と10年後は違います。時代が変われば、求める社員像も変わってきますからね。

■出家

お世話になった先代の佐伯祐二2代目社長が亡くなったとき、どうしても先代と会話をしたい思いに駆られました。
それで、「自分が僧侶になれば、先代と同じ世界にいける」と社長に就任した1年後の2015年に仏教寺院に出家しました。僧名は「三力」です。

■経営哲学

さいき社長

社員への感謝です。どんなに会社が厳しい状況になっても、社員には「ありがとう」という言葉を忘れません。実は素直にありがとうと言えるようになったのは出家後のこと。出家する前は、結構社員を怒っていましたからね(笑)。その意味では出家は会社経営にプラスになっています。

お陰様で、社員からは「うちの社長はどんなときもありがとう、と言ってくれる。そんな社長を悲しませるわけにはいかない」とさまざま提案をしてくれるようになりました。

■葬儀への思い

生前の故人が偲ばれる演出をするのは、プロである葬儀社の役割です。ただ、良い人生を歩んできた故人の前では、葬儀社の小手先のテクニックは通用しません。
例えば、花瓶に一輪の花を挿しただけの葬式であっても、故人が生前人に慕われ、愛されていれば、本当に素敵な葬儀になります。
だから、みなさんには「生」の時間を大切にしてほしい、と願っています。

【沿革】
1950年 西条本町で佐伯葬祭設立
2000年 創業50年
2001年
 法人化し葬儀場「やすらぎ会館」建設
2006年 上田博之故東広島市長の市民葬を執り行う
2010年 葬儀場「フォレストホール」建設
2015年 佐々木隆一故東広島商議所会頭の合同葬を執り行う
2016年 やすらぎ会館がリニューアルオープン
2017年 本部事務所内にアイフィットをオープン
2017年 日比谷花壇と祭壇デザインで業務協定

プレスネット2020年5月21日号より掲載

\東広島の凄い企業をまとめて紹介!/

 

 

> 続きを読む

2020年3月12日

【東広島の企業】地域福祉を支える法人に「社会福祉法人 平成会」

東広島で就職ってどこですればいいの?そもそも東広島に就職できるところってあるの?
そんな学生の皆さんへ東広島の企業を紹介!

今回紹介する東広島の企業は
知的障害者施設や授産施設など運営
「社会福祉法人 平成会」

平成会とは?

昨年、知的障害者施設・西の池学園の創設50周年と、社会福祉法人平成会の設立30周年という大きな節目を迎えた。現在、高屋町を中心に10を超える事業所を運営。東広島市の障害者福祉を支える法人の一つとして大きな役割を担っている。

地域福祉を支える法人に

西の池学園は1969年、広島市の社会福祉法人慈光会の運営する入所型の知的障害者施設として高屋町小谷に創設された。

西の池学園
西の池学園

その後、慈光会と分離する形で89年に平成会が設立され、平成会が運営する施設になった。94年には、国の入所希望待機者の解消に向けた方針で、定員を70人から80人に増員した。

大きな転機が訪れたのは2003年に就労を支援する通所授産施設の「あおぞら工房」を開設したことだ。

あおぞら工房
あおぞら工房

国が入所型の障害者支援から、障害者の地域生活を支える支援にウエイトを置く政策に転換したことがきっかけになった。その後、障害者が互いに協力しながら生活するグループホームや、通所障害者の生きがいづくりをサポートするデイセンターなどを創設。ニーズに応える受け皿を次々と作っていった。

平成会ホーム
グループホーム

あおぞら工房は、現在20人が、一般企業への就職を目指して自動車部品組立やウエス製造などの作業に従事している。そのあおぞら工房でのパン作り作業から誕生したのが、通所者が製造したパンを販売する「あおぞらパン屋さん」だ。

当初は、移動販売で売っていたが、市民に好評だったことから09年、1号店をJR白市駅近くににオープン。13年には、市役所内に2号店となる「あおぞらカフェ」を開業。
2019年、高屋町宮領に新たな就労支援施設となる「宮領ワークセンター」を整備したのを機に、パン作りの製造拠点をあおぞら工房から移し、併せて3カ所目の店をオープンした。
パン作りは現在、10人が担っている。生き生きと作業に取り組む姿が印象的だ。

平成会の赤坂秀則理事長は「こだわりは一つ一つのパンを丁寧に焼き上げること。市内はもちろん、市外からのリピーター客も多い」と目を細める。

あおぞらパン屋さん
あおぞらパン屋さん

竹原市にも13年、就労を支援する事業所を開所した。現在30人が軽作業などに従事している。2市にまたいで、利用者に働く場を提供しているが、最終的には一般企業への就労が大きな目標だ。赤坂理事長は「毎年1人~2人は必ず一般就労ができるように取り組んでいきたい」と力を込める。

法人のモットーの一つに掲げているのが、「断らない仕組みづくり」。例えば、ショートステイの定員がいっぱいだったとしても、緊急のときには受け入れるよう心掛けてきた、という。その根底にあるのは「地域の障害者が地域で安心して生活できるよう、地域福祉を支える法人でありたい」(赤坂理事長)思いからだ。

前述したように、昨年、宮領地区に新たな拠点施設が完成した。ワークセンターに併設する形でグループホームやデイセンターを整備した。赤坂理事長は「利用者が何を求めているかを敏感に感じ取りながら、次の事業を展開したい」と話す。職員からは、現在7カ所で40人が生活するグループホームの新設を求める声が上がっている、という。

採用について赤坂理事長に聞いてみた

女性が安心して働ける環境整備

平成会には、パートを含めると約250人のスタッフが勤める。赤坂秀則理事長にリクルート戦略や人材育成などについて聞いた。

平成会赤坂理事長

―新卒者の採用については。

新卒者の採用は10年前から始めました。毎年7人前後を採用しています。
採用については、障害のある人に関わる仕事ですので、この仕事を一生懸命頑張ろうという気持ちが見えるかどうか、を判断基準にしています。(採用時での)各種資格取得の有無については強いこだわりは持っていません。

―中途採用も積極的です。

中途者については即戦力の人材を求めています。他の事業所の厳しさを体験して得たスキルを本法人で生かしてもらいたいと思っています。

新卒者も中途者も、それぞれが適材適所で輝けることに目配りしながら、採用に当たっています。新卒者を含めた正規職員の定着率は95%を超えています。

―人材の育成に力を入れています。

特にリーダーの育成ですね。この業界は草食系傾向の人が多く(笑)、リーダーを目指す人が少なかったのがきっかけです。
外部から講師を招き、10年前からリーダー養成を含むさまざまな研修に取り組んでいます。成果は上々で、自主的に研修に参加し、リーダーを目指すというスタッフが増えてきました。

―今年2月には企業主導型保育園「あおぞら保育園」を開設されました。

現在、法人には250人が働いていますが、そのうちの7割は女性です。育児休業制度と合わせ、女性が安心して働ける環境を整えたい、と宮領のワークセンター内にあおぞら保育園を開設しました。

保育園

保育園は地域の人たちの子どもも通えるよう地域枠を設けています。

【沿革】

1969年 社会福祉法人慈光会の西の池学園として事業開始
1989年 社会福祉法人平成会の設立認可を受け法人分離
2001年 グループホーム「ひまわり」開設。以後、17年までに7カ所でグループホーム整備
2004年 知的障害者通所授産施設「あおぞら工房」開設
2007年 指定生活介護事業「デイセンターこだま」の認可を受け事業開始
2009年 「あおぞらぱん屋さん」オープン
2013年 東広島市役所に「あおぞらカフェ」オープン 機能型事業所「あさひ」開設
2019年 就労支援施設「宮領ワークセンター」開設

※プレスネット2020年3月12日号より掲載

\東広島の凄い企業をまとめて紹介!/

 

> 続きを読む

2020年1月9日

【東広島の企業】地域に軸足据えた和菓子メーカー「株式会社さくらや」

東広島で就職ってどこですればいいの?そもそも東広島に就職できるところってあるの?
そんな学生の皆さんへ東広島の企業を紹介!

今回紹介する東広島の企業は
地域に軸足据えた老舗の和菓子メーカー
「株式会社さくらや」

さくらやとは?

酒都・西条の蔵元の酒かすなどを使った「樽最中」が代名詞の和菓子メーカーだ。2020年は創業108年目。東広島市内に6店舗を構え、市民から親しまれる地域に軸足を据えた店づくりを目指す。

外観さくらや

代名詞は樽最中 近年は洋風和菓子も開発

《満開の桜の下に人々が笑顔で集うように、人々が集い笑顔あふれる店に》。社名であり、店名でもある「さくらや」の由来だ。
1992年から会社を束ねる4代目の馬原直史社長は「創業者・中西庸(故人)の思いは、今も脈々と息づいている。その思いがブレることはない」と話す。

大きなターニングポイントになったのは、樽最中の発売。約70年前、「酒どころにふさわしい土産物を」と開発した。大吟醸酒や酒かすを白あんに練り込んで炊き込み、最中の皮には蔵元8社の銘柄が入る。

さくらや7

酒の風味と甘さが口に広がる独特の味わいは、人気商品となり、会社の地歩を固めていった。現在も変わらぬ味わいで、さくらやの看板商品という。

平成の時代の90年代に入ると、東広島市内にショッピングセンター(SS)が開店するたびに、テナントとして入店、多店舗展開を推し進めた。「大型店の集客力は大きなアドバンテージ。発展する東広島市の街の変化についていかないと」(馬原社長)との思いからだった。

さらに2010年代には、広島市内の2つの百貨店に出店したが、商品配送の効率の悪さなどから撤退。「東広島市に根差したさくらやを」と創業時の思いを再確認するきっかけになった、という。

近年、市内のスーパーやコンビニには、大手メーカーの菓子売り場などが目につくようになり、「常に危機感を持っている」と馬原社長。「大手に対抗するためには、手作り感や、地域密着の小さな需要に対応した商品の開発など、大手ができないことをやっていきたい」と力を込める。

来店者の多くは年配者のため、洋菓子が好きな若い世代を取り込んでいくことも課題だ。打開策として、2018年秋に八本松店の移転オープンに合わせ、洋風和菓子ブランド「sakura」を立ち上げた。マドレーヌやパイドーナツ、フィナンシェなどを商品化。従来の和菓子を「蔵」ブランドと位置づけ、差別化を図った。

もう一つ、取り組んだのが、インターネット通販の楽天市場への出店や、SNSのインスタグラムの活用だ。楽天市場への出店は19年9月から、インスタグラムへの商品写真の投稿は1年前から、それぞれ始めた。

さくらや社長

馬原社長は「40歳代以下の若い世代にも、より和菓子に振り向いてもらうきっかけを作りたかった。特にインターネットの活用は時代の流れ。今後、インターネット販売への比重は高めていきたい」と語る。

馬原社長は「売り上げを伸ばしていくことは大切だが、それよりも今後150年、200年と長く続く店でありたい。会社が長く続くことが売り上げの伸びにもつながってくる」と言い切る。
そのためには、「お客さんから『さくらやに行ったら活気があって、楽しいよね』と常に言ってもらえるような人々に愛される店づくりを心掛けていきたい」と馬原社長。社員はもちろんパート、アルバイトを含めたスタッフ全員の一致した思いだ。

さくらやの人気商品

樽最中(たるもなか)
さくらや樽最中

 大吟醸酒、吟醸酒の酒かすと西条酒入りのあんを使った最中。白あん最中と粒あん最中の2種類がある。日本酒の苦手な人や子どもたちにも人気を博すさくらやの看板商品。全国菓子大博覧会で名誉総裁賞(02年)、無鑑査賞(13年)をそれぞれ受賞。

 

西条酒蔵通り
さくらや西条酒蔵通り

「酒蔵通り」にちなんだ酒まんじゅう。大吟醸酒、吟醸酒の酒かすと西条酒を合わせたものを生地に練り込み、北海小豆のこしあんを包んだ。全国菓子大博覧会で農林水産大臣賞受賞(13年)。

 

百年桜(ひゃくねんさくら)
さくらや百年桜

 創業100周年の記念菓子。ピンク色は桜の花や桜葉入りの浮島生地で満開の桜を、緑色は栗入り抹茶ようかんで草を、茶色はチョコレートの浮島生地で大地をそれぞれ表現。全国菓子大博覧会で金菓賞受賞(17年)。

 

酒都の月
さくらや酒都の月

 酒都西条の空に浮かんだ美しい月をイメージ。バターと練乳をたっぷり使い、一晩寝かせた生地でミルクあんを包んでいる。風味豊かな優しい味が人気。全国菓子大博覧会で中小企業長官賞受賞(07年)。

 

あんとうふ
さくらやあんとうふ

 くず粉と寒天を使ったとうふのような形で、つるんとした食感に仕上げている。北海小豆と抹茶の2種類がある。

 

花時アパレイユ
さくらや花時アパレイユ

 広島の新鮮な卵と良質のバターを使い焼き上げたバターケーキにジャムを練り込みラングドシャ生地で包んだ。ラズベリーとレモンの2種類がある。

 

さくらや店舗一覧

西条駅前本店/東広島市西条本町1127
ゆめタウン東広島店/東広島市西条土与丸157
ゆめタウン学園店/東広島市西条下見6232
フジグラン東広島店/東広島市西条町御薗宇72067
八本松店/東広島市八本松東2108
本部・円城寺店/東広島市西条町御薗宇6754

【沿革】
1912年 西条駅前で創業
1983年 円城寺工場直売店オープン
1990年 ゆめタウン東広島店オープン
1991年 八本松店オープン
2000年 フジグラン東広島店オープン
2002年 西条駅前本店移転オープン。第24回全国菓子大博覧会で「樽最中」が名誉総裁賞受賞
2007年 ゆめタウン学園店オープン。第25回全国菓子大博覧会で「酒都の月」が中小企業長官賞受賞
2012年 創業100周年
2013年 第26回全国菓子大博覧会で「西条酒蔵通り」が農林水産大臣賞を受賞
2018年 八本松新店移転オープン

プレスネット2020年1月9日号より掲載

\東広島の凄い企業をまとめて紹介!/

 

> 続きを読む

2019年11月7日

【東広島の企業】カーライフを総合的にサポート「湖畔株式会社」

東広島で就職ってどこですればいいの?そもそも東広島に就職できるところってあるの?
そんな学生の皆さんへ東広島の企業を紹介!

今回紹介する東広島の企業は
新車・中古車の販売から車検・修理まで、顧客のカーライフを総合的にサポート!
「湖畔株式会社」

カーライフを総合的にサポート

2019年に創業50年を迎えた湖畔株式会社。安芸津町や西条町などで6店舗を構え、新車・中古車の販売から車検・修理まで、顧客のカーライフを総合的にサポートする。「安心・確実・丁寧」をモットーに地域とともに成長する企業を夢見る。

 

顧客に利益還元を オークション専門店「車楽」開店

2019年9月、業界では画期的な取り組みとなるカーオークション専門店・車楽を開店した。オークション専門店は県内で初めて、という。

湖畔全員

顧客が自動車を手放す場合は、ディーラーや販売店に買い取りや下取りに出すのが一般的。それらは、業者間のオークションにかけられ、顧客には、オークション相場の最低価格から店の利益を引いた金額が買い取り・下取り価格として提示される。例えば、下取り価格で100万円の自動車の場合、オークション相場は110~120万円になる、という。

車楽では、オークションにダイレクトに出品、オークションを代行することで落札価格を顧客に開示。一定の代行手数料を引いた額が顧客の受け取り価格になるようにした。
つまり、下取り価格100万円の自動車の場合、オークション代行だと、相場から手数料を引いた125万円(税込)が顧客の受け取り金額になる。

湖畔グラフ

3代目の横田昌典社長は「お客さんに利益を還元したかったのが本音。まだ緒に就いたばかりだが、選択肢の一つとして認知されるよう努めたい」と話す。

 

地域に愛される店に

安芸津町のガソリンスタンドが会社の出発点。家内制工場だったが、2000年に車検・修理を担う自動車整備部門を設け、株式会社への変更と合わせ従業員の雇用も始めた。


横田昌典社長
車検は、「安価で安心も担保したい」(横田社長)と、基本料を安価にした分、その差額でさまざまな箇所が整備できるよう工夫。他社と同じ車検料で他社よりも多くの整備ができるサービスが、顧客の心をつかんでいった。

2007年には、自動車販売業にも参入。自動車の最初から最後までの面倒を見る、という体制を整えた。その後、レンタカー事業に乗り出し、15年には、人口が増加する西条地区に「車楽工房・西条店」をオープン。そして2019年9月、カーオークション専門店を併設した西条店を、交通量の多い国道375号線沿いに移転オープンした。
横田社長は「好立地を背景に若い世代にアピールする新商品を打ち出していきたい」と力を込める。

湖畔車修理

2019年11月現在の従業員は30人。西条に店舗を構えてから約2倍に膨らんだ。このため、「社員が増えたことで、人間関係がぎくしゃくしないように」(横田社長)と、全従業員が毎朝の日課にしているのが、良い会社にするために、それぞれが出し合ったアイデアを唱和することだ。「会社は人が全て。全社員で約束事を共有するようにしている」と、従業員が働きやすい環境づくりに余念がない。

人口が微増する東広島市だが、安閑としているつもりはない。横田社長は「業界の先行きには、不透明感が漂う」としながら、「会社を発展させるためには、他社が取り組んでいない商品を作っていくことと、地元に根差し、地域の人に愛される店舗づくりを心掛けることに尽きる」と強調する。

19年9月期の売上高は7億5000万円。来期は初めての10億円突破を見込む。


カーライフを支える湖畔グループ

湖畔5
車検・修理などを担う車楽工房安芸津店。車検業務は会社が飛躍する土台となった

湖畔7
給油や洗車などを提供する安芸津にあるガソリンスタンド・セルフ湖畔。ガソリンスタンドは会社の出発点となった業務だ

湖畔_外観
2019年9月1日にオープンした車楽工房西条店は最新の整備工場を備え、開放感のある店内にはキッズルームも併設。カーオークション専門店・車楽が提供するオークション代行は、自動車を手放す際に顧客の受け取り金額が高くなる仕組みで業界では画期的な取り組みだ

創業50年 会社を支える言葉の力

経営理念
企業を取り巻くすべての人々に幸せを届ける

社 訓
喜びの種をまこう お店はお客様の家のように 幸せという収穫が得られるまで

従業員の行動指針
素直であれ 謙虚であれ そして前向きであれ

【沿革】
1969年 湖畔石油設立
1977年 湖畔石油有限会社に組織変更
2000年 湖畔株式会社に社名変更。自動車整備部門の「車楽工房」設立
2007年 自動車販売部門設立
2011年 中古車輸出事業開始
2014年 「車楽工房・西条店」オープン
2015年 「ニコニコレンタカー・東広島西条東店」オープン
2016年 「ニコニコレンタカー・松山空港入口店」オープン
2019年 「カーオークション専門店・車楽」オープン

プレスネット2019年11月7日号より掲載

\東広島の凄い企業をまとめて紹介!/

 

> 続きを読む

2019年10月10日

【東広島の企業】転倒対策の日用品開発に力「㈱コーポレーションパールスター」

東広島で就職ってどこですればいいの?そもそも東広島に就職できるところってあるの?
そんな学生の皆さんへ東広島の企業を紹介!

今回紹介する東広島の企業は
転倒対策の日用品開発に力を入れている
「㈱コーポレーションパールスター」

㈱コーポレーションパールスターとは

2019年で創業104年目。超高齢社会の到来を視野に、転倒予防に目を向けた、装具&器具機能を備えた日用品の開発に力を入れる。
介護保険を使わない介護社会の実現へ―。
市が提唱するその思いを、安芸津町から商品にして発信する。

工場
商品を製造する工場の現場。商品を使った顧客から感謝の手紙が届くことが従業員の支えになっている

武器は顧客からの感謝の手紙

会社は1915年に創業。旧陸海軍の指定工場として軍足を製造した。戦後は一般靴下の製造を主に事業を営んでいたが、輸入品の興隆で売り上げが減少。そんな折、素材の良いテイジンテビロン系の糸に出合い、健康靴下を開発するきっかけをつかんだ。1992年、製造品のすべてを健康に特化した商品にすることに舵を切った。

2004年には、糖尿病患者のための「あぜ編み靴下」を開発した。凹凸状態に編むあぜ編みが、靴下に空気をため、温かさを持続。発汗作用で靴下が濡れ、足が冷えやすくなる糖尿病患者の悩みを解消した。新宅光男社長は「あぜ編み技術は、その後の会社の商品開発の基礎になった」と振り返る。

あぜ編みで培った技術力は、大学との共同研究として実を結んだ。06年には会社の看板商品となる「転倒予防靴下」を広島大の浦辺幸夫教授と共同開発した。室内での数ミリの段差が、つま先が上がりにくくなっている高齢者の室内転倒事故を招いていることに着目。足を上げるときにつま先が自然に上がる靴下を開発した。08年には、同じく転倒の原因となる外反母趾に対応する商品を開発した。

大学との共同研究は医療機器への参入を促すきっかけにもなった。「商品の効果を裏付けし、販路の拡大につながる」と14年に東広島市内の会社では初めてとなる医療機器製造販売業の許可を、6年がかりで得た。

会社に危機が訪れたのは15年。テイジンテビロンが生産中止となり、その糸を使った商品の受注が大幅に減ったからだ。年間の売上高はピーク時だった11年の3億2000万円から、16年には2億円を割るまでに落ち込んだ。

危機を救ったのは、超極細繊維のテイジンナノフロントとの出合いだった。高い吸水性と吸着性に優れた糸が新商品開発のヒントになった。病院での患者の転倒事故は、つまずきよりも、ベッドなどからの滑落に起因することが多いことを知り、18年、腰などに据えることで姿勢を良くして滑落を防ぐ「楽位置楽座」を開発した。蒸れがなく、皮膚への刺激が少ないことから、床ずれも防止した。

ナノフロントとの出合いで業績は徐々に回復、19年7月期の売上高は2億7800万円になった。新宅社長は「これまで転倒対策は靴下だけからの提案だったが、姿勢からも提案できるようになった。転倒対策分野の日用品メーカーのスペシャリストとして下地はできつつある」と力を込める。

新宅社長や従業員の心の支えになっているのは、商品を使った顧客から感謝の手紙が届くことだ。会社の大きな武器でもある、という。このため、商品を製造する工場の現場では、手を抜く仕事は厳禁だ。「商品の品質を落とすことは、お客さんへの裏切り行為になる」からだ。

新宅光男社長

大きな目標に掲げているのが、M&Aの対象となるような会社にしていくこと。「そうなれば継続的に事業を続けられる。転倒対策に特化した商品では他社の追随を許さない会社に育てたい」と新宅社長。技術力で社運を懸ける挑戦は、まだまだ続く。

コーポレーションパールスターの主な商品


転倒予防靴下(2006年開発)

転倒予防靴下

広島大大学院保健学研究科の浦辺幸夫教授と共同開発。

室内の絨毯の端や電気のコードなど、わずか0.5ミリ~3cmの段差が、加齢でつま先が上がりにくくなっている高齢者のつまずいての室内転倒事故を招いていることに着目。浦辺教授から足の構造を徹底的に学び、開発した。足を上げたときに足先が自然にその高さまで上がり、つまずきを回避する。

2007年、福祉機器コンテスト優秀賞受賞(日本リハビリテーション工学会主催)。東広島逸品認定第1号。


楽位置楽座(2018年開発)

楽位置楽座

超極細繊維を使用した、蒸れがなく、ずれのリスクがないすべり止め編地。病院内の患者の転倒事故ベッド、イス、車イスからの滑落事故対策に有効。


外反母趾対策靴下(2008年開発)

外反母趾対策靴下

広島大大学院保健学研究科の浦辺幸夫教授と共同開発。外反母趾は拇指(足の親指)の付け根の関節が第二趾の方に「くの字」に曲がった足の変形をいう。バランス機能の低下や歩行障害の原因となり転倒しやすくなる。その外反母趾に対応する商品で違和感のない継続着用を可能にした。


レッグサポーター(2015年開発)※医療機器

レッグサポーター

ふくらはぎを中心とした足に着用。髙い保温力とソフトなフィット力で血行を促進、むくみ防止を可能にした。2015年の熊本地震では、エコノミー症候群対策で2500セットを、東広島市社協を通じて寄贈した。

北里大心臓内科第2予防センター長の東條美奈子医師からは、心不全患者17人に継続着用したところ、むくみ対策の有効性が得られたことが検証された。


むくみ対策靴下(2014年開発)※医療機器

むくみ対策くつ下

東広島市産学官連携補助金事業で県立広島大保健学部の井上誠准教授と共同開発。
第二の心臓と呼ばれているふくらはぎの動きが、足先が上がる機能を持たせることで血行が良くなり活動的になることに着目。ソフトな締め付けでむくみ防止を実現した。足先が上がることで転倒対策にも有効。


【沿革】
1915年 新宅靴下工業として創業。旧陸海軍の指定監督工場に。
1944年 新宅莫大小工場として繊維問屋との取引を開始。
1978年 新宅悦雄氏が2代目代表に就任。
1980年 帝人グループの帝健と取引開始。健康靴下の製造開始。
1991年 法人化で現社名に変更。新宅悦雄氏が代表取締役社長就任。
1992年 製造品のすべてを健康関連の商品に特化、一般靴下の生産を廃止。
2005年 あぜ編み靴下がひろしまベンチャー大賞で銀賞受賞。
2007年 転倒予防靴下が福祉機器コンテストで優秀賞。
2014年 医療機器製造業と製造販売業を取得
2015年 創業100年。代表取締役に新宅光男氏が就任。

プレスネット2019年10月10日号より掲載

\東広島の凄い企業をまとめて紹介!/

 

> 続きを読む

2019年8月8日

【東広島の企業】県内15店舗展開「西條商事株式会社」

東広島で就職ってどこですればいいの?そもそも東広島に就職できるところってあるの?
そんな学生の皆さんへ東広島の企業を紹介!

今回紹介する東広島の企業は
食品スーパーのショージを県内に15店舗展開する
「西條商事株式会社」

西條商事株式会社とは?

ショージ外観

トマトのマークが目印の食品スーパーマーケットを県内で店舗展開。店舗はショージの愛称で市民に親しまれている。

「地域密着」「良質安価」をモットーにした、新鮮な生鮮食料品が買い物客の人気を集める。

スーパーは東広島市や広島市、三原市などで15店舗を展開。うち東広島には10店舗を構える。「本物のおいしさ」「安心・安全」「地産地消」「健康」の4つをコンセプトにした商品をそろえているのが大きな特長だ。

東広島に軸足 旬や素材にこだわり

うまいの

店内には、産直野菜コーナーを設け、東広島と近郊の農家が地場野菜を直接納品している他、農事組合法人などと直接取引を行い、旬の農産物を安価で販売している。

魚に目を向けると、売場には一匹丸々の、いわゆる丸魚の多さが目に付く。

魚

「他のスーパーと比べると、丸魚の数は圧倒的に多い」と蔵田亮常務。いろいろな種類の魚を目で選べる楽しさが、買い物客の人気を集めている、という。

蔵田常務は「地元に軸足を据えた商品構成と、旬・素材・価格はショージの生命線」と力を込める。

ショージ昔

創業は1951年。卸問屋が出発点で、蔵田常務の曽祖父の故求さんが賀茂郡(現東広島市)の小売店を対象に日用品の卸売りを始めた。小売店への展開は2年後の53年。
地域の要望に応える形で、卸売業の傍ら、西条本町(旧西条町本町)に小売部の「主婦の店」を出店した。63年、西条岡町(旧西条町岡町)に2号店を、68年、八本松町磯松に3号店をオープンし、店舗名を現在のショージに改めた。

70年代に入ると多店舗展開を打ち出し、東広島市内を中心に次々と出店攻勢をかけ、ショージの知名度を上げていった。
平成の時代には、衣料品専門店のカレンズや、業務用食品を扱う食品スーパーの開店につなげた。さらなる飛躍を図るため、卸部門を廃止、小売り一本に集中する体制を整えた。

とくしまる3

近年は、ショージの商品を軽トラックに載せ、週2回、顧客を回って販売する移動スーパー「とくし丸」を始めた。高齢などに伴い日常的な買い物が困難になっている、ショージの昔からの顧客を支援するためだ。
現在は西条地区と高屋地区で2台を走らせる。将来は各店舗からとくし丸を走らせる計画だ。
蔵田常務は「主婦の店時代から支えていただいた人たちのお陰で、ショージは地域のブランド店へと成長できた。お年寄りの人にとっては、安心して買い物ができることが一番。その人たちに恩返しするのは使命」と移動スーパーへの思いを口にする。

とくしまる

2018年9月期の売上高は約130億円。10年前は140億円の売上高を誇ったが、東広島市内に中堅スーパーの出店が相次いだ影響もあり、近年は130億円前後で推移する。「取り巻く環境は厳しいが、質の高い売上高150億円を目標にしていきたい」と蔵田常務は言い切る。

他社との競争に勝つ戦略で重要視しているのは、店舗の拡大よりも、質の良い店づくりだ。総菜や、健康に配慮した食材を充実させるなど、「地域に必要とされ、お客さんの多様な価値観に対応できる店舗運営を心掛けたい」と蔵田常務。そのことが質を伴った150億円につながる、という。ブレることのない4つのコンセプトで、地域ナンバーワンの食品スーパーを目指す。

もっと知ろう

リクルートと待遇

2019年8月現在の従業員数はパートを含めて559人。男性190人、女性354人と女性が多い。蔵田常務によると、採用条件で最も重視するのは新卒・中途とも、人と接することや店舗で働くことが好きな人、という。
また、仕事を通して故郷に貢献したいと願う地元出身者も積極的に採用する。

女性の待遇については、パート従業員にも賞与や有給休暇がある。企業型保育所と連携しており、子育て中であっても子どもを施設に預けて働くことができる。

ショージカード「トマカ」

ショージの各店舗で使える電子マネー機能の付いたショージのポイントカード。

トマカ

通常は200円(税抜き)の買い物で1ポイントがたまり、満点の250ポイントになると、ショージ各店舗で250円の値引き券が発行される。

カードにチャージ(入金)し電子マネーのトマカで支払うと、400円(税抜き)につき1ポイントを 加算。つまり通常の2ポイントに1ポイントが加わり計3ポイントになるというお得な仕組みだ。

アイキャッチがトマトの理由

古来、ヨーロッパでは「トマトが赤くなると医者が青くなる」と言われたことに由来する。体に良いとされるトマトは、新鮮・健康・おいしさも意味している、という。

赤いトマトは「商品」と「サービス」を、黄色いトマトは「心」をそれぞれ表現。目まぐるしく変わる食品業界の中で、商品とサービスに心を添えて提供したいという思いが込められている。

買い物客に聞きました。ショージのここがいい

【寺家駅前店】

●ショージといえば、どんぐり豚。歌が耳に残る。プライベートブランドがおいしい。独自ランキングがあって、ランキング入りしたものが安くなる。購買意欲が湧く。レジでチャージができるのが助かる。平日ワッフルやシュークリームの試食があり、試食して楽しんでいる。
●無添加コーナーのお菓子や食品を見るのが好き。他のスーパーでは購入できない、体に優しい食品が多数置いてある。
●事前に確認したら、持参した魚(旦那が釣った)を無料でさばいてくれる。苦手だし、大きな魚はさばけないので、とても助かる。
●毎週マグロの解体をしていて、たまに握りずしでの試食がある。

【白市駅前店】

●土曜日の午前中に、安芸津から水揚げしたばかりの魚が売っていて、新鮮でおいしい。

【田口店】

●店員さんが気さくで親切。
●カレンズ併設で、小学校、幼稚園の制服、体操服などが購入でき、とても便利(八本松南店も)。
●1000円以上の購入で、卵が98円になる日があり、夕方仕事帰りでも残っていて、うれしい。

【下見店】

●お肉がおいしい。特に牛すじが他店に比べておいしい。おでんの時は絶対ショージの牛すじを購入する。
●火曜日の均一祭。新鮮な野菜が均一で買えて、お得感がある(全店共通)。
●朝取れトウモロコシがとてもおいしかった。

【八本松南店】

●出来たて総菜パンのコーナーが好き。土曜市が好き。
●冬になると、甘酒(大きな入れ物に入った)が振る舞われる。


ショージ店舗一覧

みどり坂店/広島市安芸区瀬野西

白木店/広島市安佐北区白木町三田下小椿

世羅店/世羅郡世羅町寺町

高屋駅前店/東広島市高屋町杵原

八本松南店/東広島市八本松南

田口店/東広島市西条町大字田口

R375バイパス店/東広島市西条土与丸

本郷店/三原市本郷南

豊栄店/東広島市豊栄町清武

白市駅前店/東広島市高屋町小谷

黒瀬店/東広島市黒瀬町南方

下見店/東広島市西条町下見

志和店/東広島市志和町七条椛坂

牛田店/広島市東区牛田東

寺家駅前店/東広島市西条町寺家

【沿革】
1951年 蔵田求氏が卸売問屋として創業。
1953年 西条町本町の本部に主婦の店の小売部併設。
1963年 本社を中央通りに移転。小売部2号店オープン。
1968年 磯松団地入口に3号店オープン。店舗名称をショージに改称。
1972年 社長に蔵田完吾氏が就任。以後、東広島市内に次々と出店。
1979年 本社を西条土与丸に移転。
1990年 社長に蔵田憲氏が就任。
2005年 白木店オープン。広島市内に初めて出店。
2011年 世羅店オープン。世羅郡に初めて出店。
2012年 本郷店オープン。三原市に初めて出店。
2014年 社長に蔵田至氏が就任。

2019年8月8日号より掲載

\東広島の凄い企業をまとめて紹介!/

 

> 続きを読む

2019年6月20日

【東広島の企業】「100年後にも世界で光り輝く大学」に広島大学 東広島キャンパス【番外編】

 広島大の越智光夫学長が4月から2期目に入った。インタビューで大学の将来像や、東広島市での大学の位置付けなどについて語った。越智学長は「100年後にも世界で光り輝く大学に」と目を輝かせる。

広島大学

 

人材育成の基盤 教養教育に力
全科目で能動的授業目指す

 広島大は、被爆地広島に開学し、「平和を希求する精神」を理念の一つに掲げ、平和への寄与を通して、国際社会に貢献する人材の育成を目指す総合大学だ。
 その人材育成の基盤となるのが教養教育。広島大ならではの独自のカリキュラムで、学生たちの学びの土台を培っている。

 教養教育は学部生の1年生が対象。専門以外の分野へも関心を高めてもらい、ものごとを総合的に捉える能力を養っていく。

広大林教授

 教育企画担当で総合科学部の林光緒教授は「教養教育は草 木で例えると根の部分。根っこが広がることで幹が太くなり実も付く。いろいろなことに興味を持つことで視野が広がり、複眼的な視点で専門分野を研究できる。何より社会は幅広い見識を持った人材を求めている」と力を込める。

 教養教育には、平和科目、大学教育基礎科目、共通科目、基盤科目の4科目がある。平和科目は28科目から1科目を選択する。留学生を含む全新入生が必修だ。戦争や紛争から貧困、人口増加、環境までさまざまな分野がある。平和を希求する大学として、「持続可能な社会」までを視野に入れた広義の平和について考えていくのが特徴だ。

 大学教育基礎科目には、大学教育入門と教養ゼミがある。大学教育入門は、大学で学ぶべきことの意義やレポートの作成方法、ハラスメント問題など、大学生活を送る際に必要となる知識や規範を身に付けていく。

 全部で15章ある中で、ユニークなのが、各界で活躍するリーダーを講師に招いた「世界に羽ばたく。教養の力」。おととしから始まり昨年から全学部必修となった。林教授は「学生たちは、世界で活躍するリーダーの生きざまに触れることで、将来の指針となる何かをつかんでほしい」と話す。平和科目と大学教育入門も他大学にはない科目だ。

 全国の大学に先駆けて平成9年から始まった教養ゼミは、約10人単位でディスカッションやグループ学習などに取り組む。

授業風景

「大学は自ら考え学ぶところ。入学後の早い段階から、その習慣を身に付けてほしい」(林教授)からだ。問題発見・解決型の授業を行いながら、論理的な思考法や自己表現力を育んでいく、という。

 共通科目では外国語や情報など5科目で幅広い知識と技能を身に付ける。基盤科目は専門分野を学ぶために必要な基礎的な知識の修得を目指す。

 広島大が教養教育で大きな目標にしているのが能動的な授業だ。大教室での講義形式の授業であっても、授業の合間に学生に問い掛けたり、コメントシートを書かせたり、と工夫次第で能動的な授業は可能になる、という。
 林教授は「大学では、専門教育と教養教育は車の両輪。教養教育の充実が専門教育の質を高める」と言い切る。

東広島キャンパス 理系の世界的な研究拠点に
「why」を考える学生に

―2期目で重点的に取り組みたいことは。

広大学長

 学長に就任以来、「平和を希求しチャレンジする国際的教養人の育成」をスローガンに掲げてきた。その思いは変わらない。2019年度から統合生命科学研究科と医系科学研究科の設置を皮切りに、大学院再編を本格化させた。
 2019年6月現在、11ある研究科を5つに再編、研究科間での垣根を低くする ことで他の領域も学べるようにし、領域での力を高めていく。世界中からトップクラスの研究者や優れた留学生を招き入れるためにも、教育研究環境の充実は待ったなしだ。

 東広島キャンパスでは、宿泊施設や交流の場を備えた国際交流拠点を整備し、理系の世界的な研究拠点として強化を図る。
 東千田キャンパスは、新たな人 文・社会科学系の教育研究拠点として、霞キャンパスは世界レベルの最先端医療と医系科学の研究拠点として、それぞれ位置付け整備を進めていきたい。

全学一丸で取り組む

―世界の大学ランキングでトップ100に入るという目標を掲げられています。

 トップ100に入るのは、平成の後半、文科省の研究大学強化促進事業と、スーパーグローバル大学創成支援事業トップ型に採択された広島大にとっては、社会との約束でもある。
 この目標を達成するために、ランキングの指標となる留学生数や英語論文数、企業からの外部資金の割合など5項目で目標を確認している。

 また、各教員の教育や研究を数値化する独自のシステムも開発した。道は平たんではないが、全学で一丸となって努力していきたい。

 忘れてはならないのは100年後にも世界で光り輝く中四国の拠点大学にしていくこと。大きな目標でありトップ100に入ることは、その過程だと思っている。

―東広島への統合移転が完了して四半世紀が過ぎました。

 東広島キャンパスは広島大の中核となるキャンパス。一方、東広島市にとっ ても広島大は学術・教育の一大拠点であるのみならず、雇用や消費などさまざまな波及効果をもたらす基幹的な存在であると思っている。
 欧米では大学を拠点に都市が形成されている。東広島市も大学のシーズを生かしたITやライフサイエンスの企業が立地する米国・シリコンバレーのような元気な街になってほしい。

 東広島市の課題は交通アクセスの問題。広島大としても、東広島市と連携し大学周辺にバス乗り継ぎの結節点を設置するなど、交通ネットワークの整備に取り組んでいく。

真面目さを武器に

―広島大の学生気質は。

 一言で言うと真面目。そのことはとても良いことである半面、控えめで地味とも言われている。
 私は学長に就任以来、広島大の学生や卒業生であることに誇りを持ち、胸を張って社会にアピールしようといい続けてきた。誇りに思わなければ、世間から評価はされない。
 近年は起業家も出ている。真面目さを武器にリーダーシップを取ってもらい、社会を変革するような人になってほしい。

 昨年夏の西日本豪雨災害では、学生の有志が立ち往生していた車のドライバーにおにぎりを作って差し入れた。自らの頭で考えやるべきことを実行に移した。これこそ広島大生といえるのではないか。

―令和の時代を迎えました。学生には何を求められますか。

 大変革の時代だからこそ、how(どうのような方法で)だけではなく、why(どうしてなのか)をじっくり考える人になってほしい。その意味でも、専門分野を極めると共に、幅広く深い教養を身に付けてほしい。

過去の東広島の企業紹介はこちら

プレスネット2019年6月20日号より掲載

> 続きを読む

東広島デジタル

c2020 Higashi-hiroshima Gakupota