皆さんが通っている大学のあの先生・あの人が実は全国や世界で活躍しているって知っていましたか!?
広島国際大学 教授 月城慶一(つきしろ けいいち)さんにインタビューしました!
東京パラリンピックでリーダー的役割
パラリンピックでは、義足や車椅子を修理する義肢装具士などの技術者が常駐し、選手を支えます。その技術者の一人が月城慶一さん。
1998年の長野パラリンピックから6大会連続参加しており、 世界から集まるプロの技術者の中でも中心的な存在 です。
義肢装具のベルトやパーツの調整・交換、車椅子のホイールのゆがみ直しなどあらゆる修理に対応し、リオパラリンピックでは約100人のスタッフで、約2400件の修理に当たりました。
日本で唯一、ドイツ義肢装具マイスターの資格を持ち、来年の東京でも経験豊富なスタッフとして、リーダー的な役割を担っています。
「選手が日本に来て良かったと満足してもらえるように、修理だけでなく、コミュニケーションも大切にしたい」
と思いをはせました。
現在、「コンピューター制御に頼らない普及型高機能膝継手の開発」に取り組まれています。日本人の体形に合い、安全に軽やかに歩け、安価な義足を研究。
試作品を作るたびに出てくる課題にも、妥協することなく、挑戦を続けられています。
中古義肢を再生し、無償でルワンダとインドネシアに提供する学生主体の活動を支えます。思いの詰まった中古義肢が適切に活用されているか、 現地に視察に行き、患者の元に確実に義肢が届くよう 道筋をつくられています。
「コンピューター制御に頼らない普及型高機能膝継手」の開発に着手するきっかけは、月城教授が世界大手の義足パーツメーカー、ドイツのオットーボック社に勤務していた1998年頃、出張先の日本でコンピューター内蔵の義足が売れていたこと。
コンピューター内蔵の膝だから、軽くて、動きやすい。オットーボック社は、欧米人向けの商品を販売しているので、日本人の足でも軽く動かすことができて、一部の富裕層だけでなく、多くの人が購入できる安価な商品が必要だと考え、コンピューターを内蔵していない膝継手の試作品を同社研究開発部に依頼し、試行錯誤を重ねました。
1999年、同社の日本支社立ち上げメンバーとして帰国後も研究を続け、2005年遂に製品化されました。
2013年頃からは、企業と共同で、さらに進化した膝継手を開発しています。
製品化した膝継手は、足を軽やかに動かすことに優れていましたが、足で体重を支えることにも長けたものを研究。
勤務経験があるドイツの義肢装具製作会社で身に付けた技術と、工学院大学機械工学部で学んだ知識が糧となり、試作品を作っている過程で新たな課題ができても、諦めずに挑戦し続けています。
「商品化に取り組めていることが幸せ」
と晴れやかな笑みを浮かべました。
義肢装具学を学ぶ学生が主体となり、15年に「義肢パーツ再生プロジェクト」を設立。
使われなくなった中古義肢を譲り受けた後、分解して磨き、使える部品をルワンダとインドネシアに無償で提供しています。
発展途上国で義肢を購入できるのは、ごく一部。今まで義肢を購入できなかった人たちに、中古義肢を活用し、義足などを届けます。
現在、視察やインドネシアに中古義肢を郵送する費用は、月城教授が自己負担しているそうです。「待っている人がたくさんいる」と目を細め「ずっと続けたい」と力を込められていました。
※プレスネット2019年10月24日号より掲載
投稿者名: プレスネット